銀座コットンクラブ通信2010-1


銀座コットンクラブ通信202010-1

猛暑から一転、秋らしくなりました。
銀座界隈の小さな植え込みから虫の声が聞こえて参ります。
吹く風も心地よい毎日ですが、皆さまお変わりございませんか?

9月決算の事業所さんも多いと聞いております。
お忙しい合間に、銀座コットンクラブはいつもの癒しでお待ちしております。

※毎月1日のコットンの日は「密」を避けるために自粛させて頂いております。
お店の状況はお電話でご確認くだされば幸いです。


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ママ瑶子コーナー
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皆様、こんにちは。
長い残暑が明け、やっと涼しくなりましたね。
気持ちいい秋は、お仕事をはかどらせ、スポーツで汗を流し、そして「GO TO COTTON CLUB」となってほしいものです(*^^*)。

さてクイズです♪

5◯-□=60
◯と□にそれぞれにカタカナを入れて成立させてください。
(濁点を含んだ一文字の場合もあります)
では、皆様の笑顔にお会い出来ますように(^o^)/


ママ河野瑶子(ようこ)
携帯 090-****-****
LINE ******


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銀座界隈散歩道
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有楽町駅前広場の江戸時代を散歩してみましょう。

有楽町駅中央口東から広場に出ますと地下への入り口(丸い屋根)があります。その裏側へ回りますと、「南町奉行所跡」という石碑が立っていました。
そうです。あの名奉行と名高い大岡越前のいたあの奉行所は、まさに今の有楽町駅前からマリオンの間の敷地にありました。しかも、駅前広場の再開発の際に見つかった南町奉行所の遺構から発見された石垣のオブジェまであります!奉行所の石垣も今ではベンチ代わりに使われてしまってますけどね(笑)

今の銀座界隈は一般庶民が暮らしていた江戸時代から運河が発達していて、橋もたくさん掛かっていたのは江戸の古地図を見ても良く分かります。物資の運搬に役立つだけでなく江戸城の守りとしての役割もありました。
ところで、町奉行というからには平民の住んでいる真ん中に在ったのかと思ったら、南町奉行所が在ったのは大きな意味で江戸城の敷地内でした。全然町なかではなかったのですね。
新橋から有楽町を経て東京駅に通じる高架道路がありますが、あそこは昔、城の内外を隔てるお濠(堀)であった為に、橋の数がグンと少なくなります。しかも警護の門番付き御門ばかり。
銀座コットンクラブ近くの難波橋は運河に掛けられた誰でも渡れる橋でしたが、私たち庶民がお濠の中にある奉行所に行きたいと思ったら、門番に守られた数寄屋橋を渡ることになります。
 
数寄屋橋御門のこちら側一帯(みゆき通りの一部を含む銀座4丁目と5丁目の駅に近い方)は有楽原(うらくばら)と呼ばれていて、これが後の有楽町の呼び名に繋がっていきます。今の有楽町とはお濠という結界で隔てられていて、被ってはいないのですが・・・

涼しくなって散歩に丁度良い季節になりました。有楽町駅前広場から数寄屋橋交差点を経てコットンクラブまでの歴史を意識してのお散歩はいかがでしょうか?


銀座コットンクラブ
代表 山本広和
ママ 河野瑶子(ようこ)
スタッフ一同